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告げられた内容はひどく刺さった




――意味が分からない。

頭に浮かんだのはその一言だった。











「なにを、言ってるんですか・・・?」


からりと乾いた酷く重い唇を震わせると、
ぴりっと切れた唇の傷が空気に触れて痛みが走った。
青い瞳の彼は、見かけによらず可愛らしく首を傾げ一歩、
衣擦れだけを響かせてこちらへ踏み出した。



『もう一回繰り返させるつもり?それとも言葉通じてないの?』


「・・・え?」


『間抜けな顔晒さないでくれる?これだから人間って嫌なんだよ。』



なんていう言われよう様だ。
若干心の底で頭をあげた怒りを抑えながらじっとしていると
彼はうっすらとしか見えていないだろう部屋中に視線を滑らせた。
そして文字通り私を一度見下したあとやれやれと肩すくめさせる。


『こんなとこに御子もよくいられたよ。ほんっと同情しちゃう。』








ほんとうに、いったいなんなんだ。
誰だこいつは。御子ってなんだ。迎えにきたって誰を?

私にこんな知り合いはいない。






じゃあ、いったいだれの・・・・?









ずくんと瞳の奧の奧が疼いて、掌で目を覆った。










―――よう、人間。






フラッシュバックする。






―――――――――少しの間だけこの世界の此処で匿え。












夏のよるの、まんまるな月の光。
とろけるような金色をたずさえて。









――――俺様は天使だ・・・・・・。―――




笑った彼は・・・・・・・・。











『帰してもらうよ。僕らのティタハの御子を。』












瞳を大きく見開いて。巨大な轟きとともに、部屋の中に光が走った。








「ふざけないで!!!!」



ばっと立ち上がってさっきまでは恐怖で息をすることすら難しかったのに
突如落ちた雷がまた部屋中を照らした瞬間に、
ぴんと張られに張られ震えることすらできなかった糸が千切れ散った。






喉だけでなく体中が無意識に震えて、怒りで頭が真っ白になる。



「ふざけないで。急に来て変なこと言うと思ったあとに
人をバカにするようなことまでいって。
なにが迎えにきたなの?なにが帰してもらうなの!?
むしろアンタがさっさと帰れ!ここは私の家だ!!!出てけ!!!」


『なに人間ってば癇癪持ち?えー、めんどくさーい。・・・ん、あれ?』


くるりと首を縁側の方に向けて無防備な状態のそいつを
どたんと立ち上がって追い出そうと両手を突き出し押し出した。

だが、予想もしていなかった逆に伸ばされた力強い手によって
呆気なく私の身体はよろけ倒れそうになった。
しかし、ぽふりと受け止められ、どうにか転倒は免れた。

背に回された腕で分かる、


――私はいま、こいつの腕の中にいるってことが・・・!!!


すぐさま背を逸らして離れようとしたが逃さないというように
回された腕がさきほどよりも、より一層強くなった。



「っ離せ変態!!!!!」



じたばたと暴れても、ちっとも外れることのない腕に頭にもっと血が上る。
冷静になって思い起こすと、この時の私は憤死する勢いだったような気がする。

必死にもがいている私を嘲笑うように上から笑い声が聞こえて
暴れながらもキッと睨み付けた。



――冷淡な貌を彩る青色の瞳が細められる。



『今日はここで一端帰ってあげるねー。』









だけど、と身を屈めて私の耳元に唇を寄せて。
綿に包まれているような優しく、柔らかく紡がれた言葉に被さるように落ちた雷鳴。
















『別れの挨拶くらいしておきなよ、人間。』


















―――――――
―――
――





あれからどれくらいの時間がたったのだろうか。



気がついたら外の雷は身を潜め、
大雨ももはや小さな残照を残すのみとなっていた。
ぽつん、と零れたひと雫が窓に水の道を作りながら見えなくなった。




時間の感覚がない。

あれから、支えを失ったような足は畳に無造作に投げ出されていた。
じんじんと僅かな痺れが脳の神経を揺らすが、それすら気にならないほどだった。

空っぽみたいな私の中に残っているのは、
ただ耳元で囁かれた言葉だけ。

『別れの挨拶くらいしておきなよ、人間。』

優しく囁かれた言葉の裏を考える必要すらないくらい剥き出しにされた現実。
考えることを無意識に拒絶したそれら現実を改めて突きつけられた。

目に見えるものも見えないものも、最後にはどうしても壊れてしまう。
そんなことを第三者に突きつけられことに酷く、衝撃を受けた。


「いまさら、」


口を切って、落ちた言葉が雨音に包まれていた世界の空気を揺らした。
ぎゅうと、胸がしめつけられる。
きゅ、と唇を強く噛み締めて両手で瞳を覆った。



「・・・わかってるよ。そんなことわかってたよ・・・!」



一言一言紡ぐ度に、鼻がつんとして、掌が濡れていく。
小刻みに息を吸いながら身体を縮こませ膝に額をうめた。


―――・・・最初からわかってた。



異世界から来たのなら、異世界に帰らなきゃいけないことなんて。
だから、アイツが何をしたって言ったって、
「現実」じゃないただの「夢」だって思うようにしてた。





――だって。





また、さよならすることになるから。


さよならがなんともなくできるくらいの関係じゃなきゃダメだって。








そんなことは、知ってたの、わかっていた・・・!
でも綿飴みたいな金色を揺らして笑ったアイツを、
どうしても、いまさら夢だなんて思うことなんかできなくてっ。











感情も、言葉も無理矢理に全部、押し込めた。

(「行かないで。」のひとことは、どうしても音にならずに、
雨音のなか、嗚咽を噛み殺す、その音だけが彼女に寄り添った。)