花火を見てから、安恒さんの所へ戻ろうとしたけど、
俺様天使がさっさと帰ると言って首を縦に振らず
我先にとずんずん変な道に入って行ったため多少迷子になりつつも
そのまま古屋に帰ってしまった。
なんの挨拶もなしに帰ってしまったから
安恒さんに申し訳ないなあと思い、清秦おじいちゃんの家に遊びに行った
俺様天使に内緒で安恒さんの所へと向かっている。
だってなんかアイツいちいち突っかかってきそうだし。
昨日の賑わいが嘘のように、元通りになった道を歩くと
神社へ続く石階段が赤い鳥居と共に葉っぱの陰から顔を出した。
鳥居を潜り抜け靴で石階段を蹴り上げつつ登ると、
夜だった為かよく把握できなかった神社の色彩と文様が目に飛び込んできた。
棟に直交して取り付けられている、幾ばくかの棒状の鰹木が空へと向かって伸び、
先端部の柱を貫通した部分に細やかで繊細な意匠が姿を現している。
口をぽかん、と開けると、後ろから柔らかい声がした。
『今日も来たのか人の子。』
「安恒さん!」
振り返ると鮮やかな紅色の直衣姿の安恒さんが立っていて、
昨日の出来事が夢じゃない確証を得て頬を緩ませる。
すると安恒さんも、少し間を開けてから小さく微笑むと首を傾げた。
『天ヶ使いの者はおらぬようだな。』
「ああ、知り合いの人の所に行ってるんです。
それよりも昨日はすみません。声もかけずに帰っちゃって・・・。」
『さようなことか。人の子が気に留めることはない。
此所では難であろう、座しながら話をしようぞ。』
まあそう急いでる訳でもないし、おしゃべりしようかな。と頷き、
その勧めの通りに神社の隅に行くと古い木製のベンチがあった。
安恒さん曰く前に住職さんが参詣者の為にと設置したらしい。
腰掛けてみると座り心地はあまり良くはないが、
ちょうど木陰になっており居心地はそう悪くはない。
肺に溜まった空気を入れ換えるように大きく深呼吸すると
土と緑の匂いがした。
『花火は如何様だった?』
「綺麗でしたよ。最後とか特に。」
あの日、縋るように手に込められた力が蘇ったけど
それを隠して笑うと、安恒さんも笑った。
ああ、上手く隠せたのかな。
ふと昨日のことを断片的に思い出す。
屋台で買った綿飴とかを頬張りながら通りを歩いたことや、
俺様天使が金魚すくいを覗き込んだ姿や、
安恒さんと初めて出会ったこととか・・・。
そこまで思い出して、かああああと顔を赤く染めた。
(そ、そうだよ、キスされたんだよ!)
安恒さんがこちらを不思議そうに見る目が痛い!!
慌てて両手で火照る顔を隠したが、くすくすと笑う声に
さらに縮こまる思いだった。
指の隙間から安恒さんをこっそりと見ると
口元を扇で隠しながら優美に笑っていた。
ふ、と目と目が合う。
『すまなんだ。あまりの初々しさについ。』
「うっ。・・・ああもう破廉恥野郎のバカ!」
『ふふ、そなたらは仲が良いのだな。』
「別に仲良しじゃないですっ。被害者と加害者の関係ですよ!
もちろん被害者は私で加害者は言わずと知れたヤツの方ですけどね。」
『人の子は手厳しい。』
穏やさを浮かべる口元を隠しもせずに宣った安恒さんは、
私の前に移動し下から覗き込むように屈み込むと
湖面を写し取ったような静かな瞳がこちらを見上げた。
『・・・人の子よ、これは要らぬ節介やもしれぬが。
今生そなたは、そなたを貫かなければならぬであろう。』
「私が、私を貫く?」
『そうだ人の子よ。己が立場を忘れてはならぬ。』
弱々しい微笑みとともに吐き出された言葉が良く理解できない。
私が私を貫いて己が立場を忘れるな?
なんの謎かけだろうか。昔の人って奥ゆかしいことを美徳としてたけど、
その美徳も今となっては逆によく分からないよ安恒さん。
清秦おじいちゃんなら解ったかな・・・。
とりあえず、うんうんと頷けば安恒さんは困ったように笑いを零した。
安恒さんの所から帰ってくる途中、
俺様天使がまだお邪魔してるかなと
清秦おじいちゃんの家に顔を出すことにした。
夕焼けの色が空へと広がっている。
相変わらず可愛らしい朝顔の緑のカーテンの柵の間から
顔を出して私は大声をあげた。
「清秦おじいちゃんいるー?」
「庭におるよー。」
「おじゃまするよー?」
裏庭へと足を勧めると、饅頭を頬張っている俺様天使と
縁側でお茶をすすってる清秦おじいちゃんの二人組を見つけた。
蜜柑色の太陽を反射してとろけるような蜂蜜色の髪に目を細めると、
清秦おじいちゃんがこちらに気がつき、ほわりと笑みながら手招きする。
ああ、夕陽のしたで笑う清秦おじいちゃん癒される・・・。
ぽわんとしながらいそいそと清秦おじいちゃんを
俺様天使と挟むように逆隣に腰掛けた。
「急にお邪魔してごめんね、清秦おじいちゃん。
こいつ迎えにきたんだけどなんか迷惑かけるようなことしてない?」
「なにいってやがるんだ人間。
俺様がお前みたいな真似をするかっつうの。」
「いや、アンタに聞いてないし。」
半眼で俺様天使を睨むと、清秦おじいちゃんが笑いながら
小さい子を宥めるように私の頭を柔らかく撫でたから口を噤んだ。
それを見てから、もう片方の空いている手を俺様天使の頭に優しくのせた。
その手が抱きしめるように力がこめられて、清秦おじいちゃんを見上げると、
にっこりと笑った目尻に優しい皺がよった。
「二人を迷惑だと感じたことはないからの。
むしろ、こうして年寄りの戯れ言に付き合ってくれて
わしはとっても嬉しいんじゃ。」
「・・・清秦おじいちゃんっ。」
私だけでなく俺様天使もその対象に入っているだなんて
なんて心の寛大な人なんだろう・・・!
感動に震える心に言葉が思わずつまると、
ふん、と反対側から不遜な声がした。
「気安く頭に手を乗せんじゃねえ清秦のジジイ!」
「これはすまんのぅ。もう少しだけ付き合ってくれんか?」
「チッ!」
舌打ちをした俺様天使の態度の悪さにも清秦おじいちゃんは笑って流すと、
ムス、と俺様天使は渋面を作ったが、
手を出すことなくそのまま清秦おじいちゃんが気が済むまで
手や足を出さず、口でしか抵抗しなかった。
満足した清秦おじいちゃんは、
頭から手を下ろしそういえば、と口火をきった。
「祭りはどうだったかの?行ったのじゃろ?」
その一瞬、思わず顔が強張った。
今日は酷く昨日の祭りを思い起こさせられる。
安恒さんのことを清秦おじいちゃんに教えるわけにはいかないよなあ。
だって一応、幽霊、なんだろうし・・・。
俺様天使が清秦おじいちゃんの影になって
どんな表情を浮かべているか分からなくてちょっと安心した。
だって、昨日安恒さんと会ってからのアイツ、
少しぴりぴりしてるんだもん。
「例年通りやっぱり人が多かったよ。」
当たり障りのないことをいって、その話を終えさせ
帰ろうとすると清秦おじいちゃんが
奥から取ってきたビニール袋を渡してきた。
覗き込むと、瑞々しいトマトやきゅうりがごろごろと入っていた。
「わあ、ありがとう。」
瞳を輝かせると、清秦おじいちゃんも
どこか安心したように笑った。
夕焼け色の空の下、俺様天使と並んで歩く。
正直昨日の夜からこうして歩くのが気まずい。
なんでかな、なんでだろうな。
そんなことを考えながら歩いていると
自然と視線が下を向いてしまう。
でも、言わなくてはいけないことがそういえばあったのだった。
夕陽色に照らされたオレンジ色の地面から視線をあげて前を見た。
(今日安恒さんの所に行ったんだけど、
安恒さんがごめんなさい、だって。)
(チッ!烏帽子の野郎、自分で言いに来い)
(・・・・・・。)