翌朝、蝉の鳴き声によって起こされた私は
よろよろと立ち上がって、障子を開け、縁側に出た瞬間に
口をあんぐりと開けることになった。
私の混乱の原因は、ふわふわの金色の髪を揺らして
こちらを向いてから口を指さした。
「垂れてるぞ。」
「・・・・・・・・。」
とりあえず、寝惚けた頭で現状把握する前に
袖で口を擦るように拭くと
昨日見たそれ、即ち自称天使不法侵入者は
端整な顔をニヤリと歪め冗談と宣った。
あー。こんなの昨日、白昼夢で見た気がするなあ・・・。
つうか、何こいつ。え、なんでここにいんの?
不法侵入?ありえなくね。ああそれともまだ寝てんのか私。
無意識に私が半眼で睨むと、不審者はきょとんとした顔をしてから
ケラケラと笑って縁側に座り込んだ為に私の眉間に皺がよった。
「何で此処にいるかって思ってんだろ?感謝しろよ人間。
なぜなら天使である俺様がわざわざ人間の目の前に
降りてやったんだ。人間に、全人間の願望の1つでもある
天使に会いたいっつう夢を叶えさせてやったんだからな!」
「・・・・・・。」
とりあえず私はだんまりとしたまま、
そいつの横を通って洗面台に向かうことにした。
鏡に映った自分を無心に眺めてから、蛇口をひねって水を出す。
両手で零さないように水を溜めて、顔へと押しつけると、
冷たい水に肌の毛細血管が縮まってぴりりと反応をみせた。
冷たさに段々ぼやけていた頭がすっきりと晴れていく。
ふわふわのタオルで残った水気を吸い取り、ふうと溜息をつくと
突如耳元で声がして思わず眼をあけて飛び上がった。
「へえ。水ってそんな細っちろいもんから出てくんだな。
人間、何でこんなものから水が出てくるんだ?」
ばっと避けるように身体を後退させつつ振り返ると
子どものようなきらきらと輝いた翠色の綺麗な瞳と目があった。
その瞳は今度、興味津々な様子で元は銀色だっただろうが
今は鉛色の蛇口へと滑らされた。
あれ、なんかいる。つか何この人本物?
あー、さっきのマジもん?めんどくさいな・・・。
なんだ、まずは警察?それとも精神病院?
私は、朝のテンションの低さも相まって何か色々と諦めた。
見た目は麗しいこと限りないが不法侵入者が吐く嘘に
俺様って天使なんだぜ!っていう選択肢があるんだとか、
アンタみたいな天使はいてたまるかとか、
私は全てを諦めた。
女は度胸。
そんな言葉を神から告げられた気がした。
蛇口のコックを捻って水を止めるとさらに興奮しだした。
自分でその興奮を抑えているようだが抑え切れていない。
手をだしたりひっこめたり。
なんというか、その、言い方は悪いが、身悶えているような感じだ。
私は大きな溜息をわざとつき、可哀想な人を見る目で
そいつに顎でしゃくって蛇口の方を指し
許可をだすと待ってましたと言わんばかりに嬉々としてコックを捻った。
勢いよく水が飛び出してきたので一瞬慌てた様子だったが
もう一度、捻りなおし水を止めた。
それを5回繰り返したくらいで私は水道代がかかると思いコックを奪い捻った。
あいつは非常に嫌そうな顔をしたが、しぶしぶと手を下ろした。
この不法侵入者、相当蛇口見るの久しぶりだったのだろうか・・・?
「んで人間、人間は今から何をするんだ?」
不法侵入者は私の後ろを大きい犬のようについてきてはそう問いかけてきた。
私はいつも朝にパンを食べると、すぐに机へと向かう。
もちろん此処に来てからだってその習慣を変えることはない。
鞄に仕舞っておいた勉強道具を取り出すと、不法侵入者は鼻で笑ってから
木目の長いものを使ってできた縁側に座り込み、
手入れが行き届いていない小世界を眺め始めた。
そんな様子をちらりと視界に入れてから私は目の前の課題を
終わらせることに専念したが、あいつの方に気が行ってしまう。
それはそうであろう。だって不法侵入者だ。
実はナイフを隠し持っていて、後ろからぐさりなんて落ちも
考えられるからだ。この古屋に金目の物なぞない。
まあ、その時になったらその時考えればいい。
別に生に執着してる訳でもないし死を望んでいる訳でもない。
というか実際、古屋に移ってから時折
近所の人とかがいつのまにか家にいて寛いでるくらい田舎だし。
ぶっちゃけ田舎っぺは不法侵入者には慣れているんだ。
そういえば、この古家の主であった祖父も
そこに座っているのが好きだったような気がする。
小さい私は、祖父のごつごつな膝の上に乗っては、
一緒に小世界を眺め、こっそりと祖父を見上げると
祖父はすぐに気づき小世界から私へと視線を下ろし、
目尻の皺を寄せて優しく眼を細め柔らかく微笑んでいた。
シャープペンシルを走らせる手を少し緩めながら、
不法侵入者の背中に、
あの優しい空気を感じ取った直ぐ後に訪れた現実で、
疑問に思ったことを何となくぶつけてみた。
――・・・後から考えてみると、初めて会ったのに
どうして聞いたんだろうって不思議に思った。
きっと、こいつの纏ってる雰囲気がどこか、違っていると、
無意識に感じ取っていたのだろう。
「・・・生きていた、その時までが苦しいのか、
それとも死ぬ一瞬が苦しいのか。どっちだと思う? 」
それは、生きている限り付き纏う永遠の謎。
(答えを得ることが出来るのは、最期の一瞬だけで。)