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常識と非常識の真ん中




「こんなもんかな。」



ガスの元栓をきゅ、と閉めて
流し台に置いておいたザルの中に鍋の中身、
白い糸のような素麺(そうめん)を流し込んだ。
それを冷水で冷やしてから、平皿へと盛りキュウリ等の野菜を小さく添えた。

手を拭いてから、お盆を持ち上げ居間へと歩みを進めると、
廊下の角からぼんやりと光が見え隠れしていた。

私は、お盆の上にのせられている二対の赤茶色の碗とお箸に視線を落とした後
ふうと息をつき、居間へと向けていた足をその光のもとへと方向転換した。

角からヒョッコリと顔を覗かせると、足音に気がついていただろう
俺様天使が、静かにこちらを見上げていた。



「ご飯できたよ。」



ふいに翠色が瞳の中で揺らめいた。
だがそれも一瞬のことで私が瞬きを一度すると
俺様天使は立ち上がり、お盆の上のそうめんを見下ろしてニヤリと笑った。
この笑いは絶対バカにしている顔である。
そうめんの何が悪い。お手頃なんだぞ、作るのも値段も。

暗い中、斜め前を歩く俺様天使に私は沈黙を破るように口を開いた。



「そういえば四六時中光ってるけど、
それもまさか精霊だとか言わないよね?」


「仕方無えだろ。払っても払っても俺様から離れたがらねえんだからな。
・・・つうか人間のくせによく分かったな。」



私の前に胡座をかいて座っている俺様天使がお箸を片手に
フッと偉そうに笑ったのを視線に捉え、口を引きつらせた。



「貶してるの?」


「さァなー。」


















対して会話も無い中で夕飯を食べ終わり、食器を片付けた後に
居間で偉そうに踏ん反り返ってるだろう役に立たない俺様天使を
それなりに大声を出して縁側から呼んだ。

サンダルを足にひっかけて庭へ下り、しゃがみ込んで、のぞき込むと
水面が家の中から漏れる光を反射しながら、風に撫でられゆらりと揺れた。
そっと右手の掌をはわせてみると、ひんやりとした冷たさと
つるんとした触り心地が神経を通して脳へと伝わった。
ふっと何故か頬が緩んでポンポンと意味もなくスイカを叩いてみる。



「人間、わざわざ来てやったぞ。」



スイカを叩く手を止め、半ばふくれっ面で振り返ると
縁側に片膝をたてながら座り込んだ俺様天使が居た。

果てしなく偉そうなこの物言いはどうにかならないのだろうか。

だがこんなことを正面切ってこの俺様天使に言っても
無意味なのは眼に見えて明らかである。
出会ってから対して時間も経過していないが
俺様天使の性格をだいぶ把握してきたような気がする。

ふう、と息を吐いてから膝に力を入れて立ち上がった。
ざり、と砂を踏む音を捉えながら縁側へと進むと、片膝の上に顎を乗せ
こちらを見ていた俺様天使は何事かと頭を擡(もた)げた。
ふわふわとしたゆるい髪が宙を舞う。



「ちょっと待ってて。」












一言、言付けてから郭へと向かい、
まな板と包丁、サランラップ、タオルを大きめの盆に乗せて
縁側の方へ戻る最中に、ふいに古い木製の扉を視界に捉えて私は足を止めた。
扉の下は煤や埃で汚れており、うっすらと取っ手の部分が灰色に染まっていた。

思わず鼻で過剰な抗原抗体反応が起こりそうにる。
まあ、つまりはアレルギーと言われるものなのだが。

そういえば、あの中に・・・。

頭を過ぎった物に興味を注がれたが、お盆を持ち直し
切り替えをするように頭を振り、縁側へと戻って行くことした。









「お待たせ。」



「確かに待たされたが、俺様は寛容だから特別に許してやる。」



はいはい、どうもありがとー、と棒読みで感謝の意を告げ、
お盆を置くと俺様天使は訝しげに見下ろしたが私は気にせずに
よいしょ、とタライの中からスイカを持ち上げて
タオルの上に準備しておいたまな板へとそっと乗せた。

俺様天使はパチクリと眼を瞬かせ、呆然とした顔をしていたが、
私が包丁を手に取った瞬間に包丁を瞬時に私の手から奪い取り騒ぎ始めた。
ゆらりと俺様天使が纏っていた光の靄の色が銀から紅へと変化した。



「に、人間!何しようとしたんだ今!!」


「はあ?何ってスイカを切るに決まってんでしょ。
それ以外に何があるっていうの?」


「んな!やっぱり人間は俺様の前でそれを切ろうとしてたのか!?」


「切る以外にどうやってスイカを食べろって言うのアンタは!?
まさかスイカ割りみたいに割れってか!?」


「違え!俺様の前でソレの命を奪うなっつってんだ!!」



包丁を後ろ手で隠しながらそう喚いた俺様天使に私は、勢威を削がれてしまい
きょとんとした顔を思わずした。
脳内で、先ほどの台詞を反芻してみる。


ソレの命を奪うなっつってんだ!!


・・・・・・いや、え?ちょっと待て。
ソレの命を奪うなって言ったよね?え、え?
あれ、え?これスイカだよ?いや確かに命はあるっちゃあるんだけど・・・。
もしかしてスイカって知らない・・・?いやでもそんなまさか。

内心ドキドキする胸を押さえながら、手を下ろして
声に出してみようと決めてみた。



「あのさ、スイカって果物だよ・・・?」



いや、スイカって果物じゃなくて野菜だったっけ?
そうそう、古代のエジプトの人もスイカ食べてたらしいんだってね。
ま、実を食べるんじゃなくて種を食べてたみたいだけど・・・。



「あァ?」



あからさまに眉をぴくんとはねさせた俺様天使に再度私は同じ言葉を
かけ直してみることにした。



「だからスイカって果物なの。」


「・・・・・・卵じゃねえのか?」


「違うよ。もしそうだったら一体何の卵なわけ。」


「・・・・・・。」



俺様天使はまな板の上のスイカに包丁を持っていない方の手をのばし、
そっと触れてから、翠色の瞳を静かに閉じた。
触れている方の手に視線を落とすと、ふいに俺様天使の手から
紅色の光の靄が晴れていくように、銀色の靄に侵蝕されていった。

翠色の瞳が私の濡鴉色の瞳に映ると、
俺様天使はプイっとそっぼを向きながら包丁を差し出してきたが
私は白い眼でその包丁を見下ろした。



「いや、確かに包丁は返して欲しいけどさ、
刃の方を向けて渡さないでくれる?」



柄の方を俺様天使が持っていた為に、嫌が応でも刃先を向けられている。
私が、心底呆れた感じでそう呟くと俺様天使はギロリと睨んできた。
だがしかし、何故私が睨まれなくてはならないのだろうか。

仕方無く刃先を指を傷つけないように持ち、包丁を受け取った。