明け方、目蓋の裏を射す眩しい光に眼が覚めた。
いつの間にか眠ってしまったようである。
パッと横を見ると、俺様天使が大の字になって眠っていた。
身体を起こして赤子に触れるように優しく腕を伸ばすと、柔らかい金髪に触れた。
――アンタはまだ、いるのね
凪いだ湖面に波紋が広がるのに目を背け、私はそっと立ち上がった。
洗濯物を干し終わって縁側でお茶を飲んでいたら、
柵の向こうから前に見た黒猫が顔をひょっこり出して
きょろきょろと周囲を伺ったあと、私の足下にタッと駆け寄った。
可愛い。果てしなく可愛い。
準備したお皿に小さな顔を突っ込んで
水をちょろちょろと飲んでいる黒猫の前にしゃがみこんで頭を撫でると、
ゆらゆらとしっぽが左右にゆれて何だか気持ちよさそうである。
ぎゅうぎゅうと私の胸を締め付ける姿に「可愛いなあ」と顔を緩ませていると、
「なにがだ」と問う声がした。ふりかえると、縁側の柱から顔を出している俺様天使がいる。
思わずびくりと跳ねそうになった肩を必死で抑えて、そっと笑った。
「ねこちゃんがいるの」
「・・・猫だァ?」
俺様天使は腕を組みながら縁側から身を乗り出して下を見て些か吃驚しているようだった。
自分の話をされていると分かっているのか分からないのかは判断がつかないが、
皿から顔をあげて、きょとんと黒猫は俺様天使を見上げている。
顔中が水に濡れて艶やかしい毛がべっとりと肌にはりついている。
劇的ビフォーアフター・・・というか、顔ちっさ!
猫ってほんっとほっそいし小さいんだなあ・・・。
うんうん、と頷いていると俺様天使は相変わらず猫をじいっと見下ろしていたが、
すぐに興味を失ったのかふいと視線を外して縁側に寝転がった。
「ふあ」と間の抜けた声をもらす。
それを横目で眺めていると、膝小僧に猫が顔を擦り寄せてきた。
毛が濡れていて若干ごわついて微妙な感じだが、
くりくりうるうるな上目遣いをされてしまったら頬が緩んで仕方無い。
「・・・よしよし」
「にゃん」
頭を撫でてから首のしたに手を回して撫でつけると
ぐるぐると気持ちよさそうに喉で鳴いた。
「にょあ」だか、「うにゃ」だかの甘えた声が漏れている。
緩めた顔で、ふと縁側を見ると最近気がつけばよく眠っている俺様天使がいたけれど
見慣れてしまったその光景から逃れるように空をみあげた。
透き通った、吸い込まれるような深い青色のキャンパスに大きな入道雲が漂っている。
一筋の飛行機雲が入道雲を突き抜けるように伸びていた。
―・・・それがあまりにも綺麗で、・・・・
ふっと嘲笑を浮かべ、手の甲に爪をたてて横にひくと
飛行機雲みたいな赤い線が浮かんだ。
終わりが来るって分かったくせに、だんだんと知りたくてたまらなくなってしまっている。
だけど、終わりが来るなら、何も知らない方が傷付かないってことも分かっていて。
二つの反した思いにじくりと胸が圧迫されて息が苦しくてたまらない。
空から視線を戻して縁側に歩を進め、寝転がっている俺様天使を上から見下ろした。
太陽の光を取込んでいるような蜂蜜色の髪がたんぽぽの綿毛みたいにふわふわ揺れている。
その髪がすごく柔らかくて艶やかなのを私は知っている。
ふいに走り抜けた風に長い睫毛がそよいで影を作りながらも彩を添える。
ピンク色の唇は無垢な子どものように少しだけあけられている。
――その睫毛の奥にある吸い込まれるような綺麗な翠色を私は知っている
・・・その唇の優しさも柔らかさも私は、知ってしまった――
穏やかに眼を閉じるその表情が、酷く私の心を苛立たせて締め付けるくせに温かくする。
蓋をした想いが、溢れ出さないようにぎゅうと奥歯をかみしめた。
私は、強くないから。きっとこれ以上、アンタを知ったら駄目なんだと思う。
じゃないと「さようなら」ってどうってことないように笑って言えなくなる。
私は呆れるくらいに弱くて、もう、たったの一歩すら踏みだせないけど、
―・・・・・・俺様な天使さん、私はね、アンタには
海の底から見上げた光が優しくゆらゆら揺れて煌めくような、
それくらい綺麗なものを、掌から零れ落ちちゃうくらいにたくさんの
――そんな、優しい世界をもっと知ってほしいの
お月様に帰ってしまった、かぐや姫みたいに忘れ去ったとしても
忘却の闇のなかでなお、ひっそりと息づくような、そんなものを
―――だから私にできることを、しようと思うんだ―――
黒猫の頭を一度優しく撫でてから寝転がった俺様天使の横に腰を落ち着けて、
綿飴みたいな髪に手を伸ばすと、ふわりと指が優しくくすぐられた。
太陽から届く陽射しが冷え切った私の身体を溶かしてくれるようで
濡鴉色の瞳を細めながらほんのりと笑って、蝶の羽ばたきのように小さく囁いた。
「今日さ、起きたら清秦おじいちゃんの所に行って、
熱いねなんて、なんてことないお喋りしてさ、三人でキッチンに立って
わいわいしながら作って、それでみんなで夜ご飯食べよ」
髪を撫でていた指を瞼の横からうっすらと桃色がかった頬へと滑らせた。
「それで明日はさ、花火とか持って安恒さんの所にいこう?」
そう言いつつ輝かんばかりの笑顔を浮かべて、
ぎゃいぎゃいと花火を振り回している俺様天使の姿が浮かんで
思わず苦笑いを浮かべた。
――・・・でも、それもきっと楽しいだろうね
あと少しの間だけど、こうやって積み重ねた記憶が、
元の世界に帰った後でも、どうか少しでも息づいてくれますようになんて
浅ましくて反吐がでる自分に思わず刃を突き立てたくなった。