神社の社殿の下、雨のあたらない所で安恒は
しとどに濡れる鳥居の向こうのほんの小さなを現世を
遠くからぼんやりと眺めていた。
(雨に濡れた森の香りや土の匂いは、果たして如何様であったか。)
懐古の念を抱きながら、すっと足を踏み出して屋根を出てみるが、
やはり透けた身体を雨は冷やすこともなく無情に通り過ぎていくだけだった。
紅色の直衣が水を含むこともなければ、重くなることもない。
(我がまだ現人だった頃、もっと大事にしておれば良かったやもしれぬな。)
変わり映えのないことは想定内のことであったが、いつも何処か期待してしまう。
安恒は、そこまで至って己を呆れたように苦笑いを零した。
『死して後も、こうして彷徨っている我に変化などないことは、
もはや理解しきっておったであろうに。』
だが、そうであった。変わったことが一つだけあった。
『人が子と喋ったのは何年ぶりだったであろうか。』
夏の祭りの日、偶々感じた強い魂の輝きを辿って
出会った異なる世界の天ヶ使いの者と、まだ幼さの残る女の人の子。
急なキスに顔を染め上げたり、見せつけるように嗤った彼らの反応の違いを思い出して
安恒は、少しばかりの温かさに包まれて、頬を緩ませた。
―だが、すぐにその柔らかい笑みが消え失せた。
ふいに温かさに満ちていた胸の内を、暗くて汚い淀みが喰らい尽くしたのだ。
久方ぶりの現世の者との逢瀬。
初々しく微笑ましい彼らと出会え、何百年ぶりかに己の存在に気がつき、
声をかけてきてくれたのは信じられないくらい嬉しかった。
それを、今生己に訪れた第二の奇跡と呼びたくなるほどに。
けれど、己が『安恒』になってから『いきたく』ても
許されない現世の者を羨ましく妬ましく思ったのも事実だった。
だが、どうしても己の立ち位置が分からなくなってしまう。
欲しくてたまらない届かない其処に、あっさりと茣蓙を掻いて
座っている人の子を嫉み敵視したい気持ちもある。
(されども、我は、関わってしまったのだ。)
関わって、ふと気がついてしまったのだ。
己と同じ道を進むかもしれない人の子の境遇に。
弱々しく吐き出しそうになった溜息を呑み込んで
視線を見上げてみると相も変わらず曇天の空は重たい雨を降らしている。
数日前に来てくれた人の子に一つの節介を焼いてしまったのも
そこからきているのかもしれない。
自分と同じようになって欲しくない。
けれど妬ましい、羨ましい。自分と同じようになれば良い。
綺麗な思いへの願いを嘲笑うように根底で
此方への道へと引き摺り込もうと声高に叫ぶ心があった。
相反する矛盾した願いと心が一際強く浮き彫りになって
目を背けたくなるくらいに己自身が醜く卑しい存在に思えてならなかった。
『・・・人の子。けして己が立場を忘れてはならぬ。』
『そなたが「生きる」のは現世。我が「逝きる」のは常世。
さすれば、異世の天ヶ使いの者の「いきる」のは、何処だ・・・?』