「如月といえど、まだ井戸の水は冷たいですね。」



そう総司に通された部屋ならぬ
井戸でたんこぶを手拭いで
冷やしていると、渡り廊下から
髷をしていた怜悧な顔つきの男が
向こう側からなんの憚りもなくじろりと睨んできた。
そして・・・。





『なぁにが、「そのガキ引っ張りだせ邪魔だ」
だあああァアア!!!あのヤロウォオオ!!!』



アウラはダアアンと手に持っていた唐櫃を
板張りに思い任せに叩きつけると、
振動で中身が甲高い音をたてた。


今思うだけでむしゃくしゃするぜあのヤロウー!!
来たくて行った訳じゃねえよ!
君の知り合いに下駄ぶつけられたんだよ!!
しかも私は断ったんだぞ!?


珍しくイライラしながら、唐櫃の蓋を開けると
その中にはいくつかのトランプ一式や、
外の国で使っていた財布、レモンの飴や果汁が入った瓶などの
雑品が整頓されて仕舞われていた。
一番右端にあった白濁色の瓶を取り出す。


日に日に少なくなっていく
白濁色の瓶を明かりに透かしてみると
中身がどろりと一見して分かるように呆気なく傾いた。


実はこれは、特殊マスク即ち顔マスクだが、を作る
フォームテラックスなのである。


特殊マスクは毎日毎晩作り直す必要性は無いが、
破れてしまったり激しい雨にあってしまうと
劣化し、新たに作らなければならなくなる。


しかも今絶賛使っているやつも
そろそろ寿命な気がする。


植物を使いそれとなく
黒に近づけている髪の毛もいざという時の為に
イョ製の鬘で隠して居るが何となく心許ない。


ちなみにイョに黒髪の鬘を頼んだ時、

「アジアンの持ってる黒髪って手に入りにくいのよ!?
なんでもっと早くに言わないの!!」

と怒られたことが記憶に新しい。















(なんだか今日ブルーの羽織を
着ているやつが多いねえ・・・。)



団子屋の赤い野立て傘の下、
もきゅもきゅと団子を咀嚼しながら
目の前の路を行ったり来たりと
走り回っている集団を見ていた。


みな一様に帯刀し、浅葱色の羽織を 身につけている。
しかも、人々がその集団を厳めしい顔で睨んでいたり
そっぽを向いていたりしており異様さを醸し出していた。


磨がれていない殺気、いやこんな陳腐なものを
殺気と呼ぶ方がおこがましい。

・・・ただの、緊張感、または緊迫感
そういうのが駄々漏れって感じだねえ。



「壬生狼がなんでこないなとこおるんや。」


「しっ。そんなこと口にだすもんやない!殺されんで。」


「ふんっ。」



そっと横で交わされた会話を耳に入れながら
アウラは、また通り過ぎて行った集団の背を見送った。


まぁた出たよ、『噂の壬生狼』が。
つまり、あの集団ってことで間違いないんだねぇ。


アウラは銜えていた串を手元で
くるりと円を描くように遊ばせ、ゆっくり立ち上がった。



「勘定よろしくお願いしまーす。」

















人がろくに通らない裏路地で、
袂に常備されているレモン飴を口に放り投げた。

ころころと転がすと甘酸っぱい味が味覚を刺激した。
最近新たなレモン飴技術を改革したアウラは
むふふ、と自分が所有しているレモン畑を
脳裏に思い浮かべた。


だが、恋する乙女の様に頬に手を当てて溜息をついた瞬間、



――・・・視界が群青色で埋め尽くされた。



群青色の袂が、ふわりと舞い降りた。

目を見開いて改めて見てみると
それは砂埃を立ち上らせながら、
ぱんぱんと袴を軽くたたいている。

一本だけ長い髪の毛がちろりんと揺れた。



「およ、人がおったがか。」



未だに袂に手を忍ばせたまま、
こちらから視線を外さないでいるアウラを、
男は焼けた肌をかりかりとかきながら、
不躾に下から上へと観察し、満足したのか
愛嬌のある顔でにっかりと破顔した。


・・・アウラの肩からほんの少しだけ力が抜けた。



「ん、見たとこ吃驚して目ん玉飛び出とらんな。
ちゅうわけじゃき、ここはワシに免じて許してくれ!おーけー?」



ぱん、と顔の前で両手を合わせ
小首を傾けながら聞いてきた男に眼を白黒させながらも、
「お、おーけー。」と返す。


無駄にフレンドリーである。
というか何故英語。しかも上から普通
降ってくることなんてあるのかねぇ?


男から一瞬視線を外し上を見ようとした、が。



「坂本ォオ!!」


「待ちやがれえぇええ!!」



その前に上から降ってきた怒声に唖然して
顔を勢いよくあげると、今朝がたから
良く見かけた浅葱色の羽織の男たちだった。



(―・・・・・・壬生狼)



「もう逃げれねえぜ?観念しやがれ!」


「つうか、逃がす気もねえしな。」



仁王立ちしながら啖呵を切る男の横で、
もう1人は刀の柄で自らの肩を叩きながら見下ろした。



「アハッハッハ!こりゃあ困ったのう。」



ひゅっと華麗に二人の男が
二階屋根から飛び降り、「坂本」を見据えた。