『あ、かねやすがきれた。』
アウラは房楊枝を片手に呟いた。
かねやすとは、ある所で採れた砂に薄荷を
混ぜ合わせた物であり、
現代でいう歯磨き 粉のことである。
1643年に作られ、梅見散とも呼ばれた。
ちなみに、房楊枝は歯ブラシである。
歯磨きの習慣は遥か昔から紡がれており、
平安時代へと遡ることができる。
ちなみに平安人は歯木といい、
木を噛み歯を清潔に保とうとした。
「れーいー、かねやすが無くなりましたー!」
庭の井戸から、土間にいるだろう玲に
聞こえるように声を出すと、
分かったあ!との返事が聞き取れた。
かねやすなしに房楊枝で磨いた後、
口元を 濯ぎ土間に戻った。
かねやすがきれたことで、朝食を食べた後に
表へ繰り出していたアウラと玲は、
楊枝屋に足を止め購入し終わった所だった。
大通りから少し入った所の細道に
小さな二八の旗を見つけ、
アウラは思わずお腹に手を当てた。
「昼、食べませんか?」
「ん?ああ、あそこで?いいよ。」
うほほい!と軽やかな足取りになった
アウラは早々と群青色の暖簾を潜り抜けると、
奥に四人程の客しかおらず適当に腰を落ち着けた。
机にはおざなりに簡易なタバコ盆が置いてある。
壁に書かれている品書きに
視線を向け、何を食べるか決めた。
「玲は決めましたか?」
「ん、良いよ。」
「すみませーん、天ぷらうどん一つ!」
「あ、もう一つ同じのお願いします。」
「あいよ。」
ずずっと出されたお茶に口をつけ
それとなく前客 を観察すると、
刀が椅子に立て掛けてあったり、
横の椅子の上に置いてある。
武士、かねえ。
というか侍と武士って何がどう違うんだろう。
刀を持ってれば皆武士とかの
肩書きがあるのかねえ。
うんうん、と悩み出したアウラに
玲は苦笑いを見せた。
「食べた後、どうしよっか?
鴨川の四条河原とか娯楽地らしいよ」
「・・・ごらくち?」
「遊ぶ場所だよ。」
飛び出した単語の意味が分からず小首を
傾 げた様子に玲は簡単な単語で言い直した。
すると合点がいったようにうん うんと
数回頷き肯定の意を返す。
「良いですね。」
「何が良いのだ!?」
「うへ!?」
思わず変な声を出しながら音がする方に
視線を向けると、だあんと机を叩きながら
先ほどと同じ声が再度張り上げた。
「少し前にまた同士が殺られたのだぞ!?
このまま尻尾を巻いて逃げていろと!?」
「声が大き過ぎますよ。
少し落ち着いて下さい。」
一番奥に座っていた青年が言い聞かせるように非難し、
頭に血が上っているその声の持ち主
を見咎めてからちらりとアウラと玲を窺った。
二人は何も聞こえなかったというかの
ように、きょとんとした顔を
表情筋を駆使して作り出していた為、
青年はすぐさま視線を外し声を潜めた。
「壬生狼の犬が何処にいるか
分からないんです。周囲に気を配って下さい。
吉田先生の言葉をお忘れですか?」
感覚を研ぎ澄まして聞こえた言葉に
『…ふうん、また人斬り壬生狼か。』
とアウラは感想を洩らし出された
天ぷらうどんにかぶりついた。
出来立ての天ぷらうどんはサクサクで美味い。
西欧でも売れる、うん。
まあレモンが一番だけどねやはり!
こそっと袂からレモンの絞り汁をいれた
筒を取り出し、天ぷらへとぶっかける。
ほうとうの天ぷらを頬張ると
玲が全くうどんに手をつけていないのに気が付いた。
「どうしたのですか?」
「え?あっ、ううんなんでもないよ。」
あはは・・・と引きつり笑いを零し
慌てて箸を手に取った姿に、
不思議に思ったが気が付かぬふりをすることに決めた。
玲は一方的に気まずい空気が
流れてしまったと後悔しながらも、
意識が前客たちに奪われてしまう。
木製の茶色い箸で白いうどんを挟むと、
するりとお椀に逃げてしまっている。
「また来ます。」
青年を筆頭にぞろぞろとアウラ達の横を
擦れ違った一瞬、玲がいつもは穏和な瞳を
細めたのに気が付いた。
瞳の奥の漆黒色に上手く隠している怜悧な光が灯る。
そして、すぐさま光を消して
がたりと椅子をひき、暖簾の向う側を
見ながら立ち上がった。
「ごめん、ちょっと用事
思い出したから先行くね。」
「はあい。」
もごもごと、うどんを咀嚼しながら頷くが、
玲は返事を聞くのもおざなりに急いで
店から駆け出して行ってしまっていた。
一人残されたアウラは、ほぼ手付かずの
玲の天ぷらうどんを見下ろして小さく唸った。
・・・これ、食べ なきゃいけないのかねえ?
ちらりと店主を隠れ見ると、
心音に答えるようにギンッと睨んでくる店主から
慌てて目を逸らし、再度箸を動かした。
(日本の勿体ない文化、恐ろしい…!!)