提灯を片手にぶら下げながら
夜の道を歩き長屋に辿り着いた。
ちなみに江戸時代、光源を持たず
夜出歩くことは禁止されていた。
長屋からは仄かに光が漏れ出している。
ちなみに今居住地としているこの長屋は
長屋の一室一室を区切る集合住宅のような
棟割り長屋の一室ではなく、棟長屋を借りている。
棟長屋は一軒ごと借りるものであり、
他者との同じ屋根の下という状況にはならない為に
プライバシーの保護には最適である。
棟割り長屋の場合、確かに壁で仕切ってはいるが、
壁があるにも関わらずそれが薄いが為に、
声が筒抜けになるのだ。
プライバシーのへったくれもない。
その分、異人だと勘付かれる可能性を低くする為、
大分店賃は高めであるが、
他者との敷地の境界線である板塀もある、
今で言う一軒家を中心部から離れた所に借り入れた。
表門を潜り、玄関から入らずに台所の直ぐ横にある
水口の戸を開けると、長火鉢の灰の上に
五徳というものがおかれており、
その上には急須である土瓶がかけられていた。
その横にはうっすらとだが、火口箱が見える。
湯飲みを両手におさめていた玲は、
水口から入ってきたアウラの姿に気がついた。
「お帰り。今日遅くなっちゃってごめんね。
ちょっと人に会ってて。」
『いや、別に気にしないでいいよー。』
「あ、英語だよ今の!」
やれやれと、アウラは肩を竦めながら、
玲の反対側へと胡座をかいて座った。
白味を帯びた灰、銀鼠色の瓦灯から光が漏れだしている。
この瓦灯というのも行灯と同じく照明道具の一つであるが、
行灯よりも安いため庶民が多く使用した。
瓦灯は酒瓶のような形をしており、
側面に開いた穴から光が漏れ出す仕組みになっている。
ちなみに、受け皿の上に置かれた油皿に
菜種油または魚油を注ぎいれるものとなっている。
差し出された湯飲みにアウラも口をつけながら
口を子供のように尖らせた。
『なんか最近英語が恋しくなってきてねぇ。』
「ホームシックならぬランゲージシック?」
『おや、英語。』
「・・・あ。」
思わず英単語を口走った玲にアウラは
ニヨニヨと笑いながら突っ込むと、
玲は思わずといった感じで口元に手をあてた。
『時折言語って混ざるから嫌なんだよねー・・・。』
『だねぇ。』
しみじみと感じ入るように頷くアウラは、
土瓶から再度湯飲みに湯を注いだ。
「ご飯は食べた?」
『二八蕎麦の屋台でね。』
「そっか。」
『それにしても二八蕎麦って凄いねぇ。
肩に担ぎながら店を持ち歩くなんてさぁ。』
「ああ、屋台見世ね。」
屋台見世とは、料理をしながら商いをする
立ち食いの店のことである。
二八蕎麦を売り歩いていた屋台見世の彼らは、
棒の両端それぞれに二つの縦長の木箱をとりつけ、
その中に水が入った水桶や煮炊きするためのカマドを入れていた。
カマドは、上に釜や鍋をかけ下で火をたけるものである。
これらを棒を肩にかけて歩き渡っていたのである。
稲荷寿司やお饅頭、甘酒なども屋台見世でよく売られていた。
稲荷寿司の場合、天ぷらやイカ焼きのように
普通の屋台で売られている場合もあったのだが。
「やたい、みぃせ?」
「や た い み せ。」
「や た い み せ。」
『そう。ああいうお店の形態を屋台見世っていうの。』
『なるほどねぇ。』
屋台見世を何回か口内で繰り返した後に
アウラはそういえばと立ち上がり、
自分の部屋に足を進めた。
足の裏から、木独特の冷たさを感じとる。
台所の横にある6畳ほどの自室には、
枕屏風と一つの箪笥、そして小さな瓦灯がある。
今の時刻は一寸先まで暗闇に包まれているが、
夜目が利くアウラにとって開けっ放しにした襖から
差し込む瓦灯の仄かな光だけで
手に取るように室内を巡回できた。
ゆらめく自分の陰を感慨無しに見下ろしてから、
隅に置かれた小さな机の上の包みを手にとって
玲のもとへと踵を返した。
『お土産だよ〜。例のお団子。』
今日、団子屋で玲へのお土産と包んで貰った団子を手渡した。
「ありがとう!これ凄い好きなんだよね!!
アウラも食べるよね?」
包みを開けてとろりと煌めく団子たちを差し出されたが、
アウラはひくりと頬をひきつらせて手を横にふった。
『今日はもう団子は十分だから、レイが食べなよ。
・・・というか甘いもの全般今日はダメだ。』
げっそりとした様子でお腹をなでつけるアウラに
団子を口に含んでいた玲は首を傾け、咀嚼した。
「何かあったの?」
『今日団子屋で相席した・・・、
ええっとなんだったっけかねぇ。
し、し・・・・、し?しま?しましま?』
「ま、うん。そのしま何とかがどうかしたの?」
『そのしまなんとかが、
クレインみたいな行動をしたんだよねぇ。
団子が見えなくなるくらいに砂糖ぶっかけて、
もう寧ろ団子というよりも砂糖主役で
団子が脇方みたいな食べ方し始めてさぁ〜。』
「でも慣れてるじゃない。そんな食べ方。」
『いやぁ慣れてるのはクレイン限定だったからねぇ。
他の人があんなことをしているの見てて思わず胸焼けが。』
きょとんとしている玲にあはは、と
頭に手を当てて空笑いを向けながら、
火箸で長火鉢の炭を幾度かつつく。
『そういえばレイは誰に会ってたんだい?』
「あ、うん。小さい頃によく遊んでもらった人に、たまたま会って。」
たまたま、そうたまたま出会ったのだ。
少し心にひっかかるものを感じながらも、
おくびにも出さずに、話を続ける。
『ふーん。何年ぶりだったんだい?』
「どうだろう・・・。
その人達の大英帝国留学のついでに
そのままそこに放置されて行ったからなあ。
だいたい、10年ぶりくらい?」
違法な物とかことに色々と手を出したり、
巻き込まれたりしてお金を集めてから何度か
日本には戻ろうとしてたけれど、
鎖国という大きな関門が立ちふさがっていたために、
足が遠のいてたらしい。
「あの時ちょっとのお金と身のみ着ままで
放り出されたことを恨んだけど、
今はまあ良い経験だったって思ってるよ。」
『子供を放り出したその人達、
だいぶ肝が据わってるというかなんというかだねぇ。』
「ははは・・・。でも、とても良い人たちなんだよ。
剣術がここまでできるのその人達のおかげだし。」
昔を懐かしむように、柔らかく瞳を玲は細める。
アウラがお湯に口を付けながら、
軽い頷きを返したところで、玲は突如くすくすと微笑んだ。
口元を袂で隠しながら、ひとしきり笑うと
優しく湯飲みを人差し指でするりと撫でる。
「困ったさんだけど、面白い人達なんだよ。」
『その三人が、玲は大好きなんだねぇ。』
「うん。本当に優しい人たちなんだよ。」
花開くような笑顔を浮かべた玲を捉えたアウラは、
そうかい、と言ってゆるりと口元を緩めた。