なんで、こんな所にいるの!?
わけがわかんない!
というか、こんな所で会うとは思わなかった!!
しかも・・・、跡を付けられてただなんて。













玲は座敷の一角で張り詰められた沈黙を破るように、
そして相手を伺いながら空気を震わせた。



「お久しぶりです、・・・栄太郎兄さん。」


「ああ。」



暗闇を照らす夕緋色の中、煌めく黒真珠の瞳が玲を見据える。
静かに光が消えたかと思うと、大儀そうに短い応えを
松下村塾で玲とともに遊んでくれた栄太郎は返した。
栄太郎の低い声は、空気を震わしゆっくりと溶けていった。

パチリと火鉢の炭が崩れたのを契機とするかのように、
再度栄太郎が言葉を綴った。



「今は吉田稔麿と呼ばれている。」


「あ、・・・はい。」



つまりは、名を改めたのだろう。
栄太郎兄さんは考えを一言に纏める癖がある。
言葉足らずなそれに、他の兄さん達や自分自身が勘違いをしたものか。
胸中でそう呟き、栄太郎をいや稔麿を上から下へと眺めた。

角行灯の仄かな光が揺らめく中、
昔と比べて精悍さが溢れ出ているその顔つきや、
小袖から覗いている粒々とした腕に視線を這わせ、
離れていた今までの時間を改めて感じた。



「息災でなにより。」


「あ、ありがとうございます・・・。」


「いつ京に?」


「10日ばかり前に来ました。」


「・・・そうか。」



そう呟いて、稔麿はそっと玲に手を伸ばした。
さらりと、結い上げられていない稔麿の
黒く艶やかな髪が肩を滑らかに流れる。
揺らめく光に、漆黒の髪が、黒真珠の瞳が、象牙の肌が、色を変えていく。

一種の完成された芸術のような稔麿に思わず身を固くした玲に、
稔麿は緊張を解すように、するりと玲の頬に大きな手を添えた。

暖かい温度が、硬くて大きな掌を通じて玲に伝わる。



「―・・・綺麗になったな。」


低くて、透き通った綺麗な声が耳朶を擽った。
凛とした切れ長の瞳を細め、
そして口元を無意識に緩ませながら稔麿は手をゆっくりと離した。

玲は感じた暖かさに一瞬呆然としたが、かぁああと頬を染めた。
このくらいの暗さで良かった!栄太郎兄さん艶やかすぎる!!
と心の中で叫び地団駄を踏んだ。

何とも言えぬ気持ちに、思わずふるりと震えると、
ふわりと優しい匂いが鼻を擽った。



「気づかなくて悪かった。」



顔をあげると、稔麿の端整な顔が鼻の先にあり、
玲は思わず眼を見開いた。


突如温かいものに包まれる。


抱きしめるように稔麿は、先ほど自らが羽織っていたものを
玲を包み込むように羽織らせた。
寒かっただろう、と小さく呟くと置いてあった
火鉢を玲の方に押しやると、今度は頭をぽんぽんと撫でて離れていった。

ぼうっとその様子を見ていた玲はハッと身体を跳ね上げ羽織を握った。



「栄太郎兄さんが冷えます!」


「大丈夫だ。」


「だけどですね!」


「・・・構わない。」


「で、でも・・・。」


「玲。」



尚も食い下がろうとしていた玲を諫めるように
ぴしゃりと名を呼ぶと、玲は言葉に詰まりもごもごと
何かを言ったと思うと諦めたように感謝に意を述べた。
火鉢の火箸で炭を掻き分ける。



「異国は、どうだった?」



そんな一言を契機に、玲はきょとんとした顔をした後に
異国にほっぽり出した義理の兄でも言える某人物を思い出した。

少しばかり苦い顔を表に出してから、
外国での流浪の旅の顛末を大雑把に稔麿に話聞かせた。

稔麿は横から口を挟まずに、ただ静かに聞いていた。
名前は出さなかったが、檸檬などの酸っぱい物に
ある意味命をかけるどこか掴みづらいアウラのことを筆頭に、
クレインやイョなどの色んな人物の話もした。



大体の今に至るまでの経過を語り終えると、
時を告げる、「時の鐘」がふいに聞こえた。

この「時の鐘」とは、雨時や室内でも時間が
分かるように撞かれるものだった。

普通有名な寺社の境内などに置かれており、
名がある所としては、上野寛永寺、市ヶ谷八幡がある。


人通りがあり、道が整備されている表通りに面した
表店の二階にある部屋の虫籠窓の方に、
稔麿は一度視線を向けると、「もう夜五ツか。」と呟いた。


表店があるということは勿論裏店というのもある。
まず、表店も裏店も共通しているのは、
店舗と住居を兼ねているということだ。

表店は敷地が広く、人通りも多い道に面しているので
集客率は高く、無論それに伴って店賃も高い。

裏店は表店を全て逆にしたものと考えて貰ってよい。
まあ、裏店は別名裏長屋とも言われており、住居としてのみ
使用されることもあるのだが。



そして夜五ツ、今の時間で言うと夜の20時である。
江戸時代では、日の出を明け六ツ、日没を暮れ六ツとし、
それを基準として時刻を定めていた。

ちなみに、明け六ツは朝の6時であり、
暮れ六ツは夜の18時である。



「いつまで京にいる予定だ?」


「まだ、決まってないんです。だけど三月以上は、いる予定です。」


「        」


「え?」


「二度は言わない。・・・もう陽も暮れた。今日は帰れ。」


「え、ええ、ちょっと待って下さい!
さっきなんて言ったんですか?」


「長い間留めてしまった。俺は暫くここにいるが他言はするな。」



未だ訳が分からないと怪訝な顔を浮かべている玲を
稔麿は無視し、手を二度ほど叩いた。
すると、横の襖が静かに開き女が頭を下げていた。
女中・・・だろうか。



「若党に送らせろ。」


「栄太郎兄さん話はまだ・・・!」



いくらそう玲が言ってもむっすりとしたまま
無言を保ち始めた稔麿に玲は内心溜息をついた。


こうなってしまえば稔麿は何を言っても
答えないことを知っているからだ。
こういう時、芯が強い者は嫌になる。


立ち上がって羽織を脱ごうと手をかけると、
稔麿は玲の手を押しとどめ首を静かに数回振った。
女が稔麿の通訳をするように、


「春先どすけれど、夜はまだ冷えまんねん。
それを羽織っていかはった方がええどす。」


と言った為に、玲は大人しく頷いた。
女に先導されるように敷居を跨ごうとした瞬間、
無言を保っていた稔麿が、「―・・・玲。」と破った。



ふっと振り返った玲の瞳を真っ直ぐと射抜き警告する。



「壬生狼・・・、新選組には決して近づくな。」



お前がまだ俺たちを兄だと
慕ってくれるのであるならば。

心の中で付け足しながら、武家に仕えた従者である
若党の一人に付き添われながら通りを歩いて行く
玲の後ろ姿を縦に格子が入ってる二階の虫籠窓から
稔麿は淡々と見下ろし眺めた。





(―・・・事が為される前に、京から去ってくれ。)