「確かにそうだけど、そういうことじゃないんだよクレイン。」



アウラはそう呟き、俯いた。髪がアウラの表情を隠すようにふわりと零れた。
そんなアウラにクレインは何事かと思い肩を掴んでいた手を離すと、
アウラはふらりと扉にもたれ掛かり掌を力強く握りしめた。



そ う、扉 に も た れ 掛 か り



ガチャ、パタン。



一瞬の隙を突き、部屋から脱出したアウラの背中を見送ったクレインはぽかんとした。



「ハッーハッハ!!私は窮地を脱する天才なのだ!!
そしてクレインはただの糖尿病予備軍なのだ!!」


廊下から響くアウラの貶し言葉を聞き付けたクレインは
ふるふると震え眼鏡を外した。



「あ゛んの、クソ娘がァ・・・・・・。」



ぐわしゃと眼鏡が砕かれ手の中から破片が溢れていく。
ひしゃげたフレームが地面の上を飛びはねた。



「ちょっとばかし、・・・いってくらァ。」



偶々表情を伺うことができた玲は、ニヒルな微笑みを浮かべ、
鈍く、かつ鋭い感情がありありと浮かべられた瞳に、頬を引きつらせた。

般若の顔で部屋を出ていったクレインを見送った後、
戦々恐々としたような感じで玲はイョと向き合った。



「クレインさん激怒してましたよね!?
あの、元々の原因は一体何ですか?」


「アウラだからクレインは怒るんじゃないかしら。
そして元々は支部長が来るって聞いて逃げようとしたアウラを
クレインが阻んだってとこかしらね。」


「逃げようだなんて心外だな。アウラなりの照れ隠しだろう。」


「照れ隠しなんですか?」


「きっとな。」


「アウラにも照れることあるんですね。」


「ふふ、意外にあるわよ。ねえ?」


「ああ。」


「へえ〜。」



そこで玲は言葉をくぎり、固まった。



「・・・・・・いや、ちょっと待ってください。
え、あの今普通に会話入ってきましたが貴方誰ですかッ!?」


「ハハ、これはまた可愛らしいお嬢さんだね、
いやお嬢さんっていうのは失礼だったかなレディ。
お名前をお聞きしても?」



男は、被っていたハットを白い手袋で取ると、稲穂のような金色の髪が現れた。
白い肌に高い鼻。青い瞳はややつり上がっているが、
それでも知的な雰囲気を持っている。
滑らかで、しかし一切無駄のない動作でハットを胸元に当てると、
小さく微笑み、黒い外套をはためかせるが如く男は膝をついた。
長い睫毛に縁取られた青色の瞳を柔らかく細め、玲を見上げたと思ったら、
玲の右手を優しくとり、まるで一種の厳かな儀式のように静かに口付けを落とした。

玲は咄嗟のことに顔を赤くして慌てて右手を後ろに隠した。
くすくすと男は笑うとイョに視線を合わせる。



「初々しいレディなんだね。」


「日本人はこんなことしません!」


「おや、照れてる顔もこれまた愛らしい。
レディ、遅くなったけれど、私はウィリアムと言うんだ。
ぜひウィルと呼んでくれ。」


「・・・・・・!」



玲はウィリアムの言葉と行動にアウラが逃げ出した理由が分かった気がした。
なんだか胡散臭いというか紳士過ぎるというか、
こう言葉に出来ないのだが背中がもぞもぞするのだ。



「初めましてウィルさん、私は玲と言います・・・。」


「レイか。似合っているよ。」



口許に手を当てて爽やかに微笑むウィリアムに玲は愛想笑いを浮かべながら、
ちらりとイョに助けを求めるように視線を向けると
イョは合点ついたというように頷いた。
クレインが置いていった小箱を白い指で持ち上げウィリアムの掌に乗せた。



「これが例の?」


「そうよ。確かに渡しましたからね。」



念を押すようなイョの言葉に分かった分かったとウィリアムは肩をすくめた。
広い部屋を見回し、机の上にある小さなチョコを
つまみ上げたかと思うとウィリアムは至極残念そうに溜め息をついた。



「アウラとクレインに会いたかったのだけどね。」


「あらやだ、あんなトラウマを植え付けたウィリアムが悪いわ。」


「おや、これは手厳しい。」



イョに避難され肩を竦め後悔しているように言うが、
ウィリアムの口元はやはり笑みを絶やさなかった。

































「ふう。なんとか逃げ切った感じかねぇ。」



庭の茂みから顔をだし、ほっと息をついたアウラは
クレインの有無を確かめると、服についた草木を払った。
遠くに紅茶一式を乗せた台車を押しているフィンが
廊下を曲がって行ったのに気が付き自分の中での
ウィリアム三大悪行の一つを思い出した。



「ウィリアムがとうとう来たんだねぇ。
あれは、ある意味死ぬかと思ったよ・・・
クレインが一番の被害者だったけど。」



あの時の記憶を思わず思い出して
腹を抱えて笑い出してしまう所を腹を殴って無理矢理に押し止め、
落ち着いた所でゆっくり立ち上がり緩慢な動作で空を仰ぎ見た。























フィンが紅茶を注ぐ様子をウィリアムは淡々と観察している。
無論フィンは気が付いていたが身動ぎすることなく己の仕事をこなした。
青い模様が施されているウェッジウッドのカップへと温かな紅茶を注ぎ入れ
部屋にいる三人の元に運んだ。

仄かな香りを楽しんだ後、口をつけると喉をゆるやかに通っていく。
身体を中から温めるそれに、ホッと一息ついてからウィリアムが口を開いた。



「そうそう、今朝方届けられたものがあるんだよ。」


「仕事関係かしら?」


「まあそうなるね。極東の小さな国知ってるかな?
あのアメリカ野郎が抜け駆けした。」



一種暴言ともとれる言葉に玲は唖然したように思わず眼を瞬かすと、
手を顎のしたに置き、ウィリアムは何事もなかったように爽やかに微笑んだ。
イョはウィリアムの一瞬の変貌を歯牙にもかけず言葉を積むぐ。


「つまり、ジャパンね?」


「正解だよイョ。ジャパンが今世直しを目指しているみたいでね。
とりあえず、今ジャパニーズの底力を計れられる絶好の機会だから、
国民性や文化とかの情報収集とかを頼みたいみたいだよ。
まあ、一言で言えば適当に見聞を広めながら遊んでおいでってことらしいね。」


「遊ぶ、ですか。でも今尊皇攘夷論とか尽忠報国論が激しくて
色々と大変だと思いますけど!?
しかもアウラって日本を訪れたことありませんよね!?
それに髪の色とかもあれですし!
だからその任務放棄した方が良いですって!」



眼を瞬かせた後に、あわあわと手を左右に意味もなくふって
そう焦ったように紡ぐ玲に、イョが両手をぱん、と軽く顔の前であわせた。
ウィリアムに向けられていた視線が自ずと音の鳴る方へとずらされる。
困惑気味の玲を落ち着かせるが如く、にこりと微笑み手を下ろした。



「ふふ、そこら辺は大丈夫ですわ。」


「そういうことだからね、レイも色々と頼むよ。」



二人の微笑みに玲は、日本行きの任務に巻き込まれたことを知り、
がっくりと肩を落とし日本にいる、とある人物達を
思わず脳裏に過ぎらせ手で顔を覆った。



















































とある旅籠の一室で、二人の男が向かい合っていた。
ゆっくりと煙管の煙をくゆらせ、視線をもう一人に向けると
佇んでいた男が刀を自らの横へと置き、膝を折った。

男は居住まいを正すが如く、座して手を膝の上に置き
背筋を伸ばしこちらの出方を伺うが如く沈黙を保った。
そして、自分好みに施した煙管から口を離し、手元で遊ばせる。



「久しぶりじゃねえか、栄太郎。」


「その名で呼ぶな。今は吉田稔麿だ。」


「そうかい。」



光の届かない太古の森に何千年も生き続ける
大木のように低く深い声で、鷲のように鋭い瞳を細め
自らの新たな名を告げた稔麿に男は笑った。



「相変わらずだな高杉。」


「フッ、山縣が俺の為に腹を切らせられるんじゃねえかって
絶えず覚悟してるらしいぜ。」



灰吹きの縁で軽く叩いて煙管の火皿の中の灰を空にすると
コン、という軽やかな音が部屋に響いた。



「で、用事は何だ?」



高杉と呼ばれた男、そう高杉晋作は、ゆるりと稔麿の瞳に
視線を這わせると、静かに稔麿は言葉を音にした。



「小姫が帰ってくるらしい。」