「とうとう、今夜。」
アウラはポツリと囁くように呟くと、ソファーに埋めていた身体を起こし
白いタキシードの裾に腕を通した後、黒いネクタイを首にかけ結びあげる。
所々跳ね上がっている髪に丁寧に櫛を入れ、ゴムで肩の部分で一つにくくると、
頭の動きに比例するように髪の先が揺れた。
チェストの上に置いておいたモノクルを瞳に填め、シルクハットをかぶる。
一切の光を遮断するように手で両瞳を隠すように覆い、すっと横に腕をひいた。
扉の向こうから感じ取った気配に瞳を開け、
アウラはシルクハットのブリム、鍔を下ろし口元に弧を描いた。
これでようやくアウラはいつものアウラではなくなり、別のアウラへと化する。
「お待たせしました。さあ、参りましょう。」
何かから逃れるように赤いカーテンを横にひいた。
淡い桃色のドレスをきたイョは
隣の男の腕に自らの白いしなやかな腕を絡め、
厳つい黒のスーツを着ている男に
招待状を手渡している様子を見ていた。
厳つい男がふと自分の方を向いた為に目を細め口角をあげる。
ギィと頑丈そうで年忌が入っているだろう扉の向こうに行くと
何十もの蝋燭が灯された幾つかのシャンデリアが我が身を競うが如く光り輝っていた。
それに負けず劣らずの宝石の類を身につけている者達が
集まっている中央を見ると
今回の式典を開いたウェルコート卿を見つけた。
イョは一瞥したのみで我関せずかのように
視線を外し共にいた男からワインが注がれているグラスを受け取った。
「あら、ありがとう。それにしても人が多いのね。」
「今回最大のゲストがアイツだからだろうな。
くれぐれも自分の名に恥じるような間違った行動は起こすなよ。」
当たり前でしょう?挑発するように女は
クスリと微笑を零したのを男は見ると会場からその姿を消した。
それと同時刻―。
「まったく何で私が・・・。」
ありえないですよね?ええ、ありえません。
ポケットをがさがさとまさぐる手を止めケホ、と
小さくその黒い影は咳込んだ
「・・・・・・!」
わなわなと震え、取り出した小型機械をひとつ取り付け、
耳にはめてある機械の突起を押す。
クレインが一足先に玲に渡したルアン製の無線通信機だ。
「もしもし?レイさん聞こえますか?」
『・・・問題無し。アウラ、G03ポイントへ移動よろしく。』
「はい。解りました。」
プツ、と切れた音がした後、黒い影が狭い迷路のような通路を
はいつくばって進んで行くと目の前を
ネズミが横切った為、その背に思わず手を振った。
「っと、ここですね。」
あらかじめ仕掛けておいた痕跡を見つけ
先程取り付けたものと同様の小型機械を取り付ける。
そして足元のくぼみに手をいれ持ち上げ出来た隙間に体を捩込んだ。
イョはクレインを見送った後、声をかけてくる者達の
相手をし終え、ワインが注がれているグラスを手元で遊ばせながら
周囲を見渡していると、面識がある幾ばくかの人を見つけた。
ふいに目の前を過ぎった一人の男に眼を奪われる。
彼が来てるって、一体どういうことかしら・・・?
キュッと形の良い眉をよせてから長い髪を耳にかけるついでに
違和感がないようにピアスにそっと触れ、
ワイングラスを近くのテーブルにおいた。
クレインは広い個室に備えられているソファーに
座っていると頭上から何かを擦るような音と共に
黒い影が華麗にクレインの前に着地した。
クレインは硝子の入れ物に入っている角砂糖を
舌の上で転がし小さく息をついた。美味い。
「第三段階終了しました。クレインさんお疲れ様です。
こちらは万事抜かりなしですよ。アウラもすっかり怪盗モードですし。」
「そうか。会場にはイョを忍び込ませているからなんとかなるだろう。」
漆黒の忍び衣装を纏っている玲は顔を覆っていた仮面を外し
ニコリと笑うとクレインも目を細め軽く笑い
ソファーから立ち上がり手元の時計に目を走らせた。
「そういえばイョから連絡があってな。
・・・番犬が来ているらしい。イョ、番犬に接触はできるか?」
『無理よ、この顔では会えないわ。』
『放っておけば良いですよ。
女王陛下が眼をお瞑りになさるみたいですしね。』
あっけからんというアウラに他の三人はぎこちなさそうに頷いた。
ヤードでも普通の警察でもない、
大英帝国女王陛下直属、秘密警察組織、それが番犬。
もしもの有事に展開される作戦コード‘C019’
番犬の動きや存在を等閑視することは後々の行動に支障がでるだろうと
クレインが脳内で何十もの算段をした一つ。
それをアウラは脳裏に過ぎらせた。
「そうなったら面倒ですね。」
小さく溜め息をついてシルクハットをかぶりなおした。