朝、玲は、ホテルの自室でストレッチをしていると、自分の部屋の扉を控えめにノックする音がした。



「はい？」


「クレインだ。」


「ちょっと待って下さいね！」



慌てて扉まで走り開けるとクレインとアウラが立っていた。
玲は首を傾ける。



「どうしたんですか？まだ朝食の時間じゃないと思うんですけど。」


「そのことだが・・・。今すぐに外出するぞ。朝食は俺の知っている所で摂る。」


「クレインが大英帝国の飯なんぞ食えるか！って。」


「大英帝国の料理など三大悪食の一つだ。」



そっぽを向いてそう呟くクレインにアウラは軽く笑って、頷いた。

イギリス料理はスパイスの入ってないカレーと同じだというようなジョークも世界にはある。
実際、日本にしばらく住んでいた生粋のイギリス人が母国に帰ってから、不満を零したくらいだ。

フランスに長く住んでいるクレイン曰くイギリス料理は食べられたものではないが、
スコーンやナッツ等の御菓子類は美味だとか。

クレインは眼鏡をくぃ、とあげてから玲に真顔で言った。



「大英帝国の料理がどれくらいというと、大英帝国王室が不味いと我慢しきれずに、
古くからの天敵フランスからシェフを呼びつけるくらいに酷い。」


「昨日玲を連れて行った所はシェフがココの人じゃなかったからねぇ。
君もイタリア料理に慣れてるから辛いと思うよ。早く準備をしておいで〜。」



アウラが玲を急かすと混乱気味だった玲は取りあえず鞄の中に財布とルームキーを仕舞い、廊下に出た。

流石元々カントリーハウスだっただけある。廊下に飾られている絵画に眼を奪われた。
ちなみにカントリーハウスは貴族や修道院の邸宅として建設されたものだ。
ブライオリやクレインジなどとも呼称される。
換わってマナーハウスというものもあり、それは下級貴族や地主が荘園に建設した邸宅となっている。

アウラ達は古びているが趣がある木製の階段を降り、
ロビーにつくとフロントにいた従業員達が一斉に姿勢を正し、
他より立派な正装をしている一人の男が慌てて駆け寄ってきた。


何か面倒な雰囲気だねぇ。


アウラはそう思い足を一歩後ろにさげ、我関せずのようにふいっと横を見てみると
玲もちょうど後退している所だった。

男は服から判断すると、このホテルの総支配人、または副総支配人だろうが、
胸元についているバッジが副総支配人だと示していた。

副総支配人は迷わずアウラ達の方に足を進めてくる。

いや、正しくは先頭にいるクレインに、だったが。



「ヴィンセル様。おはようございます。
本日は午後からのお出掛けと聞いておりましたが・・・。」


「ああ。そうだったが、私情で今から出る。」


「かしこまりました。馬車の手配を致します。少々お待ち下さい。」



玲はこそりとアウラに近づいた。



「ヴィンセルってクレインさんのことですよね？」


「多分ねぇ。仕事用の名前じゃないかな。
クレインは仕事柄色々と名前必要みたいだし。」


「なるほど・・・。それでヴィンセルかあ。」



副総支配人がフロントに大股で行くのをクレインは確認してから、こそこそと喋っているアウラ達を呆れたように眺め、二人を連れてソファーに腰掛けた。

玲はクレインの前に座り、アウラは立ったまま、近くの柱にもたれ掛かった。



「んで、ヴィンセル様？あなたは一体この大英帝国では何者なんですかねぇ？」



悪巧みをしているような笑顔を浮かべているアウラに思わずクレインは自分の腹部に手をあてた。



「なんだい？ヴィンセル様。お腹でも壊したのかい？
甘党だからひ弱なんだよ君は〜。」


「貴様のせいだとなぜ気づかない・・・！」



歯ぎしりをする勢いでクレインが唸る様子をアウラはにやにやと見ていた。



「クレインはおちょくると楽しいねぇ。」


「アウラ・・・。」



呆れたような声をだした玲はTOPのミッションに参加するさいには常備しているタブレットを鞄の中から取りだし、痛む胃を押さえているクレインに手渡した。

クレインはすまない、と息も絶え絶えに言い、震える手でタブレットを掴み呑み込んだ。

ぐわりと目を見開いてから、ソファーに突っ伏した。



「相変わらず不味いが粉薬じゃないだけ救われるな・・・。」


「良薬は口に苦しですよ。」


「もっと苦くしたらどうだいレイ〜？っと、彼が帰ってきたね。」



アウラの台詞にクレインと玲がフロントの方を見てみると、副総支配人の姿があった。



「失礼致します。馬車の準備が整いました。」



クレインはソファーに埋めていた身体をおこして立ち上がった。

エントランスからすぐ近くにある出入り口をフロアスタッフの人が開けると
階段の脇に栗毛の二頭の馬がひいている馬車が待機していた。

馬車の種類はランドーである。
四輪車であり貴族などの上流階級に好んで使用されている。

分かりやすく言えばシンデレラを王子の城まで送り迎えをしたカボチャの馬車だ。

乗馬従者が馬車の側に控えていた。
そして副総支配人の方にちらりと視線を向けてからクレインに行き場を尋ねた。



「どちらまで行かれますか？」


「・・・そうだな。シティ付近で良い。」


「かしこまりました。」


「レイ、先に乗れ。」


「あ、はい。」



玲はクレインにエスコートされるように、馬車内に入り、ふかふかなソファーになっている所に腰をおろした。
アウラも続けて座る。

ふわりと、甘い香りが鼻を擽った。

最後にクレインが乗り込むと乗馬従者が扉を閉めた。