「フィン!こっちだ!!」


「すみませんミック警部補。」


「構わないさ。フィンは今まで退役してたもんな。
お前が復帰できて俺も嬉しいさ。だが相変わらず青白い顔してるな。
今日は休めば良いと言ったんだがな。」



ぼそりとミックはそう零した。
フィンは外套の裾を翻えしながらヤード仲間の元に駆け寄る。


ここはウェルコート男爵邸宅地内である。


警部補であるミックとフィン、そしてもう一人のヤード達は
Phantom thiefの予告状により五日後の打ち合わせにきていたのだ。



「打ち合わせは良いが先に我が家に一通り目を通したらどうかね。」



というウェルコート男爵の薦めもあって邸宅地内を散策していたのだ。
そして見事にフィンは迷子になってしまった

(挙げ句の果てにメイド、ヴァレット、フットマン、庭師にも出会えなかった。)

そうして中庭から繋がる廊下で漸くミック達に出会えたのだ。

広間、画廊、図書館、寝室、浴室、厨房、書斎、応接間。
ウェルコート男爵の邸宅は貴族として基本的な作りであったが、
さすが美術に傾倒しているウェルコート男爵である。
かしこで見られる細かな装飾が訪れる人々の目を奪い続けてきたのだろう。



「これが、私が持っている蒼き指輪と考えられるものだ。」



ウェルコート男爵は応接間の机に執事に命令しジュエリーボックスから
次々とブルーダイヤモンド、ブルーサファイア、
アレキサンドライト、アクアマリン、エメラルドなどがあしらわれている青、または緑系統の指輪を取り出させた。
ミック達は、ぽかんとした顔をしたがすぐに引き締めた。



「さて、私にはどれなのか理解しかねるのだが。君たちは分かるかね?」


「・・・・・・。」



ニッコリと微笑まれた警部補のミックは肘で横に立っていたフィンをこっそりと突いた。
ロンドンでは見ることが難しくなった星が煌めく夜空のようだと思いながら、
じっと机に散らばった宝石達を眺めていたフィンは弾かれたように顔をあげた。



「フィンはどれが予告状に書かれていた指輪だと思う?」



ハハ、と渇いた笑顔を浮かべるミックをフィンは呆れたように半眼で眺めた。
そして机に並べられた宝石達全てに眼を通した後に、一つの宝石を指さした。
指された方の一点に皆の視線が集中した。

きらりと光るアクアマリン。



「ほう。なぜそれだと思った?」


「宝石に詳しい方からアクアマリンは"夜の宝石の女王"と謳われてると聞きました。」



真夜中、仄かな残月の光で見るアクアマリンは、
晴れ渡る海の色から深い海底の静かな色をその身に纏うと謳われている。


Phantom thiefの予告状に書かれている『眠れる姫』というのは、
アクアマリンが夜にしか本来の性質を現出しないということではないでしょうか。


フィンが淀みなく告げるとウェルコート男爵は思わず感嘆の声をあげた。
ミックともう一人の同僚も目を瞬かす。



「なるほどなるほど。なんてことはない、私もこの指輪が
Phantom thiefのターゲットだと思っている。」



ウェルコート男爵は椅子に腰掛け大儀そうに指輪を軽く突くとコロンと机を転がった。
ミックの後ろにいた同僚がひぃ、と息を呑みながらも口を開いた。



「そんな扱いをしても良いのですか・・・?」


「構わない。もとよりこのアクアマリンは私が望んで手に入れたものではないのでな。
それに見たまえこのリングの部分。地金が太すぎる。
不格好で見苦しさ極まりないとは思わないかね。
私の美学に反するようなものをなぜ狙おうと思ったのか皆目検討がつかんな。」



不愉快そうに指輪を一瞥してからミック達の前に置いた。
白い手袋を嵌めてからフィンは指輪を手にとり確かめると、
たしかに今がゴシック・リヴァイヴァルだとしても余りにも厳つすぎる。

だが、これで良いのである。

地金は関係ない。重要なのはアクアマリンそのものなのだから。



「あまり大事でないのならヤードでお預かりしますが?
かまいませんよねミック警部補。」


「なるほど、つまり攪乱作戦か?」



新しい考えを提案されたミックが腕を組みながらふむ、と考えていると
ウェルコート男爵が横から口を挟んだ。



「なに、それには及ばぬよ。私はその指輪には心残りがないが、
不殺生を貫き通している風変わりな偸盗、
――Phantom thiefには興味が尽きないのでね。
この機会は私にとって欣快の至りなのだよ。」



押しころすようにしてウェルコート男爵は、くつくつと笑った。
ミック達は困惑した表情を見せ、そしてフィンは静かにウェルコート男爵を見据えた。



「さて、それでは五日後までじっくりと待つとしようかね。」



がたんと音を立てながらウェルコート男爵は立ち上がった。





ミックは、留めていた外套のボタンを外してから
ウェルコート男爵邸宅を振り返って、馬車に乗り込んだ。

がたんがたんと揺れる馬車内で大きく欠伸をもらし、帽子を膝の上にのせた。

フィンは静かに窓から見える風景を眺めた。

もう一人の同僚は外で馬の手綱を握っている。
窓の外を見るのを止め、手帳を開くとミックが口を開いた。



「一昨日またジャック・ザ・リッパーの被害者が出たんだが知ってたか?」


「はい。被害者は確かエマ・エリザベス・スミスですよね。
本日付で公表された。」


「今回は被害者が生きていたのが救いだな。」


「ですね。証言で犯人像がつかめれば良いですけど・・・。」



ミックはフィンの言葉に、ああ、と思い出したように手を組んだ。



「三人のギャングに襲われたと証言したらしい。」


「・・・ギャング、ですか。」


「まあそいつらがジャック・ザ・リッパーかどうか信憑性は薄いがな。」