テムズ河畔、ウエストミンスター橋近くで、
スコットランドヤードの赤煉瓦庁舎が建てられていた。
「信じられないですね。
たった一つの予告状にぴりぴりしすぎじゃないですか?
しかもみんな揃ってコレの新調だなんて。」
木箱に詰められていた拳銃を一丁ずつ取り出しては
若いヤードは自分たちの所を訪れた同僚達に渡していく。
拳銃が光を浴びてきらり黒光した。
「お前知らないのか?ファントムシーフといえば裏世界で有名な泥棒だぞ。
フランス野郎があいつにコケにされたのは清々したが、
俺たちもエジプトやインドで散々コケにされたんだ。」
「だから今度は我らが大英帝国の威信にかけて捕まえてやりましょうぞって息込んでるんだよなあ。
今頃ミック警部補達があっちで打ち合わせ中だよな?」
「確かな。おっと、サンキュ。」
渡された新しい拳銃をホルダーにしまい同僚は無精髭をさわりながらこちらに笑いかけ出て行く。
誰もいなくなった倉庫で男は拳銃が入っていた木箱を横の棚に積み上げてから
ポケットの中を手でまさぐり黄色い紙に包まれている飴を取り出して口に放り込んだ。
口の中で溶けると同時に広がるレモンの酸味と仄かな甘味。
包み紙をゴミ箱に放り投げ、男は足下に置いていた同じような木箱を取り出して
持参しておいた袋の中に大雑把に詰め込んだ。
袋を締める役目の紐で固く縛って、青空に視線を向けた。
「倉庫係は終わったのかい?」
「終わりましたよ。これがそれです。」
倉庫係の男は自分を訪れた年配の女に袋を手渡そうとしたが、手を引っ込めた。
どっしりとした重さに腕が必死に耐える。
「そっちこそ、きちんと中を見てきましたか?」
「ああ。ちゃーんと見てきたさ。」
倉庫係の男は今度こそ、その袋を手渡した。
イョは鏡越しにアウラを見つつ小指で口紅の量を調整するために掬い上げ、
横にある小さな手洗い場で洗い流した。
濡れた手をタオルでふき、頭上で一つに纏めていた髪を解いた。
ふわりと髪がこぼれ落ちる。
艶やかな長い睫毛をゆらしソファーで寝っ転がっているアウラの耳元に
唇を寄せて声をかけたが起きる気配はない。
そっと身体をゆらすがそれでも起きない。
イョは一輪の薔薇が咲いたように華やかに微笑んだ。
「あだッ!!!!」
大きな音とともにソファーから転がり落ち
悶々と頭を抱えたアウラをイョはニコリと笑って見下ろしスカートの裾をおろした。
「いってぇ・・・イョ君よ、蹴り飛ばさなくても良いんじゃないかねぇ。」
「起きないアウラが悪いのよ。ほら早くここに座って。」
先ほどまで座っていた椅子をぽんぽんと叩くと、
アウラは大きな欠伸をもらしながら腰掛けた。
イョはアウラの髪の中に手をさしこみ、手探りで尖っていたものを見つけ、指にひっかけて持ち上げた。
アウラの髪がごっそりと抜け落ちる。
いや、この場合カツラが取り外されたと言った方が的確であろう。
ぴょこんとアウラ特有の髪が踊った。
「たとえ変装するっていっても、女の子なんだから寝癖くらいなおさなくちゃ。」
「はーい。」
「きちんと行動に移しなさいよ?
フィン悪いけど寝室から・・・。」
アウラの髪を櫛で梳かしていたイョは、はたと手を止めて
今の台詞を脳内で反復してから苦笑いを零し、窓から見える景色を眺めた。
「そうだったわ、フィンは今任務中だったわね。」
「フィンってあの執事君かねぇ?」
「ええ。わたくしは本当ダメね。フィンに頼りすぎていたわ。
お願いすると何でもこなしてくれたから。」
「執事君は万能型なんだねぇ。
・・・キュンメルと交換しないかい?」
「キュンメルが聞いたら泣いちゃうわよ。」
アウラの言葉に鈴のような声でイョは笑い、髪を梳かす手を再び動かした。
そこでアウラは思い出したように俯いていた顔をあげた。
「銃が入ってる袋、あの時イョ君に渡したけどどうした〜?」
「フィンが預かってるわ。任務でロンドン支部に寄るみたいだから。
そういえばヤード内でわたくし達以外のことでも、ごたごたしてるみたいよ。」
「なんでだい〜?」
「ジャック・ザ・リッパーの犠牲者がまた出たらしいの。」