キュンメルは金色の髪を煤で汚しながらも路地裏を走り回っていた。
そして自分を追うブーツの音が遠のいたのに気づき、足を止めた。



「ようやく行ったか。」



息も乱れた様子もなくキュンメルは、そう呟くと路地裏を進んでいく。
そして路地裏であるに関わらず喧噪が
聞こえる方面に足を進めた。
角を曲がると、大きめの邸宅の門扉の前に二人の男が立っているのが視界に入った。
その二人の男はキュンメルに気がつくとにやにやと笑った。



「よぉ新入り。どうだった?」


「どうだったじゃないっすよ。
まさかヤードの相手をさせられるだなんて誰も思ってないっすって。」


「おいおいそりゃあ・・・上手く撒いたんだろうな?」


「当たり前っすよ。・・・ちょっと死にかけましたけどね。」


「ハハ!そうだったな。お前はボスに期待されてるルーキーだった!!
ほれ入れボスがお前をお待ちだ。至急来いっつうことだ。」



キュンメルは邸宅内へ通されると、エントランスホールの階段に立ったままの少年を伴いながら、
座っていた男の一人が、よう。とキュンメルに手をあげた。

男はキュンメルの髪や服が煤だらけになっているのに気がつき、面白そうに眼を細めた。



「随分とドンパチやってきたようだな。」


「うるさいっすよアンダーボス。さっきも外の人達に言ったっすけど、
途中でヤードに見つかったんっすよ。」


「そりゃあ面白そうだな。オレもまざりゃあ良かったぜ。」


「アンダーボス、俺らの若頭ジャックが出て来たら、周りは血の海っすよ。」


「――テメェが言うかそれを。」


「はは。それよりもボスに呼ばれてるみたいなんすけど、ボスはどこっすか?」



ジャックは、ああ、と思い出したように重い腰をあげた。



「今は行かない方が良いぜ。女連れだ。」


「いつものことじゃないっすか。」



やれやれと肩をすくめるキュンメルにジャックは笑った。









キュンメルはシャワーを浴びてからボスの執務室の前で声をかけ、
扉を開けると酒の臭いと葉巻の臭いに襲われた。
扉の側に控えて待っていると、奥から胸元をはだけさせた男が姿を現せた。
女のものだろうか、キツイ香水の臭いを嗅ぎ取りキュンメルはぴくりと眉を一瞬だけ跳ねさせる。



「至急の用だと聞きましたが、どうしたんすか?」


「ウェルコート卿にPhantom thiefから予告状が届いたらしい。
しかも狙いは眠れる姫の蒼き指輪、間違いなく連名証を隠し入れた指輪だ。
あの裏切り者が儂から持ち去ったな。」



キュンメル達が所属するマフィアのボス、
リチャードは機嫌が悪そうに酒瓶を呷った。袖で口を乱暴に拭ってから口を開く。



「買収した犬からはウェルコート卿邸宅に張り込みを開始するのは3日後だと聞いた。
Phantom thiefは不殺生と日時は守る、と言ってな。」


そこで、だ。


リチャードは区切ってからキュンメルの瞳を睨む。



「ヤードに張り込みをされる前にウェルコート卿から指輪を奪え。方法は問わない。」


「・・・別に良いっすけど、指揮官は俺っすか?」


「ああ。そうだ。いざという時の為にブランドンもつけるがな。」


「ブランドンって幹部の・・・、ええとカポ・レジームのっすか?」


「そうだ。」


「・・・・・・そうっすね。構いませんよ。
俺に指揮を執らせて貰えるっていうことなら。」



キュンメルは心の中でほくそ笑んだ。


キュンメルはリチャードの執務室を出てから新鮮な空気を取り入れるように大きく息を吸うと、
自然光を取り入れる為の天窓から優しく注ぎ込んだ光の眩しさに思わず片手で光を遮った。



「・・・あ、の。」



ふと小さく後ろから声をかけられてキュンメルは振り返るとアンダーボスの伴をしていた、あのときの少年がいた。
少年は不安を感じているのだろうか、小さく俯いてシャツを握りしめているのにキュンメルは気がついた。

キュンメルは子供は好きでも嫌いでもない。言うならば普通である。

しかしいくら待っても戸惑うように中々続きを告げない少年に対しキュンメルは段々と苛立ちを募らせた。


こちとらさっさと師匠に伝えなくちゃならねえことがあんだよオイ
ちょ、マジ師匠の所に早く行かないと師匠にぶちのめされるから!無視されるから!
俺は無視されんのだけは嫌だからね!?
師匠と会話のキャッチボール成立しないと俺マジで死んだも同然だからね!?
おいガキィイ!!!早く続きを言えやコラァアア!!!


心の中で悪態をつくが、それをおくびにも出さないようにした。
キュンメルは元々気が長い方ではない。
しかしそれでも我慢しているのはアウラとの約束があったからだった。


アウラに対する思いは敬愛、畏敬、敬虔、崇拝、心酔、傾倒、さてどれだろうか。


いやむしろ全てでも構わない。

ふぅ。と溜息をキュンメルは吐いて、そっと少年と目線を合わせる為にしゃがみ込んだ。
そう、確かこの少年の名前は。



「トムだったっすかね?」


「―ッ。」



ひくりと小さく喉を引き攣らせた少年にやはりそうかとある種のすっきり感を得た。
そして、この怯懦な子供をどうしようかと思案するが思考が変な方に飛んでいった為に軽く頭をふった。



「俺はキュンメルっす。こうして話すのは初めてっすね。」



イョの優しげで包み込むような微笑みを思い出しながら自分の表情筋で、できる最大限の笑顔を貼り付けた。

トムは、そっと目の前にしゃがみ込んだキュンメルを伺ってから、口を小さく開いた。



「ジャック様、呼ぶ、する。貴方、来る。」


「あっちゃー。そうなんすか。だけど俺も用事があるんすよ。」



たどたどしい喋り方におっかな吃驚したキュンメルだったが、やんわりと要求に断りをいれ立ち上がると
トムは大きな瞳に涙を浮かべて首をふって、キュンメルのズボンを握りしめた。



「今、来る、する。」


「だから俺にも用事が・・・。」



そう言いかけると、トムはぎゅうと小さな両手で何かに堪えるようにして
更に強くキュンメルのズボンを握りしめた。

これでは歩くに歩けない。キュンメルは観念したように肩の力を抜いて手をトムに伸ばした。
ハッとトムは両目を固く瞑ったが自らが予想していたものと違う感覚に眼をそっと開いた。



「仕方ないっすね。じゃあアンダーボスの所に連れていってくださいっす。」



自分の頭を優しく撫でただろう離れていくキュンメルの手を、
信じられないというような視線で思わず追ったトムは、慌てて頷いた。

足のリーチの差で、ちまちまと歩くトムを追い越さないように
キュンメルは普段よりもゆっくりと歩くのを意識した。

先を歩く小さな背中を眺めながら手持ちぶさたに色々と考えた。


歳は大体5、6歳くらいか。ったくほそっこい身体して・・・ちゃんと飯食ってんのかこのガキ。
いやでも待てよ。師匠はレモンで育ってきたって言ってたからなあ。
いやいやいや、でもレモンでどうやってタンパク質とか摂るんだよ。
あれか、実は嘘だとかそんなオチか!?


・・・・・・・ハッ!!


突然何かをぶつけたような大きな音を聞いたトムは飛び上がって音の方に視線を走らせ、
キュンメルの額にできた赤い腫れを見つけると困ったように狼狽えた。

キュンメルがぶつかっただろう抉れた壁からぷすぷすと煙が立ち上がってる。




「(俺は、今、何を、考え、た!師匠が嘘をついたってか!?
あり得ない!師匠は清廉潔白で慈悲深く全てを許してしまうような寛容さで
温和柔順な人柄をお持ちの方だ!
くっ、師匠を信じず誰を信じろというのだ俺!!
恥じろ!己を恥じろこの愚か者がァアアア!!)」



自分の世界に沈んでいたキュンメルをどうしようとトムは、あわあわと手を出したり引っ込めたりしていたが、
廊下の奥からやってきたジャックに気がついて手を後ろに回して背筋を伸ばした。

こちらに足を進めたジャックはちらりとトムを見下ろしてから
頭を抱えているキュンメルを思いっきり、爽やかなくらいに足蹴にした。

無様に転んだキュンメルは足蹴にした張本人をマッハの勢いで振り返ると、ジャックが喉で嗤っていた。